ホーム » 「震災」タグがついた投稿 (ページ 4)

タグアーカイブ: 震災

東日本大震災 復興支援活動の紹介(4日目 | 3/20(日) | 石巻ボラセン経由で活動)

■活動内容
– 石巻市社会福祉協議会が石巻市専修大学内に設立した災害ボランティアセンター(以降石巻ボラセンと略す)にて活動する。ここは3/20時点で石巻市唯一のボラセンになる。
– 剥がれた屋根瓦の応急処置としてブルーシート掛ける作業を行った。
– 元気村ボランティアスタッフ2名、別途ボランティア3名(内2名は本先発隊)、同行する東海テレビスタッフ2名で活動した。

■ボランティア関連情報
– 活動している範囲内では毛布が十分に足りている。足りていないところもあるはずだが把握できていない。
– 避難所でニーズの汲み取りをしてボラセンにボランティアの要請をする人もいる。屋根瓦の応急処置はこれによるもの。
– ボラセンでは車で1時間程の避難所・被災地にボランティアを派遣している。2時間程の場所へ派遣されるケースもある。

■被災地情報
– 周囲で把握できている避難所は50箇所ほどあるが、自立的に統合していたりするため完全な把握はできていない。
– 避難所とボラセンが無線で繋がっているところもあるが、孤立しているところもまだありそう。
– 昨日まで名取市で活動していたボランティアに話を聞くと、石巻市の方が被害が大きいように見えるとのこと。

津波被害にあった地域の救急車
津波被害にあった地域の救急車

東日本大震災 復興支援活動の紹介(3日目 | 3/19(土) | 石巻赤十字病院にて活動)

■活動内容
– 昨日に引き続き受付業務、資材運搬などを行った。病院から避難所に戻る人達を運搬するバスの案内なども行った。
– 救急搬送されたおばあちゃんが回復したので、避難所につれて行くバスの中で話をしていたが、被害に関しての話は耳に入らないようであった。

■ボランティア関連情報
– 石巻市ボラセンのボランティア登録に必要な情報は、住所、電話番号、緊急連絡先、車両使用可否、保険加入の有無。(登録時に保険加入済みである必要はない)
– 2回目以降ボランティアとして仕事を登録する際は名前と行き先のみを記入。
– 防風環境ではあるが、気温が下がるため夜は冷え込む。
– BCである石巻専修大学付近の電気が復旧した。他のボランティアも到着しテントで宿泊を始めた。(PeaceBoatらしい)
– ボランティアセンターも避難所からニーズの汲み取りが完全に出来ていない様子。

■被災地情報
– 受付業務中に安否確認を求めてくる人が多い。安否確認所も混雑している。
– 石巻赤十字病院を拠点にしたボランティアセンターに関して言えば態勢が整っており、病院自体の態勢も整いつつある。患者数も減少傾向(約800~500)にある。
– 石巻赤十字病院の水道が復旧、農家からの野菜寄付を受付開始したとの噂を聞いたが詳細は不明。

津波によって被災した石巻市の様子
津波によって被災した石巻市の様子
仕分けが必要とされる物資
仕分けが必要とされる物資

東日本大震災 復興支援活動の紹介(2日目 | 3/18(金) | 活動初日)

■活動内容
– 当初受入元であった企業による炊き出しチームから、他に人手が足りないところがあるのであればそちらに回って構わないとの助言をいただく。
– 石巻市はボランティアを募集をしているとの知人からの情報により現地へ移動し活動する。
– 石巻赤十字病院にてボランティア受付完了。番号が57,58だったので、この場でのボランティア数は延べ58人と推測。
– 受付業務、トリアージ補佐、歩行困難者補助、物資運搬、病院清掃をおこなった。
– 業務終了後、石巻専修大学 陸上競技場内の倉庫にベースキャンプ(以降BCと略す)を設営した。

■ボランティア関連情報
– 仙台市役所に設置されたボランティアセンター(以降ボラセンと略す)は受付していなかった。
– 石巻赤十字病院のボランティアは本日10~20人程度であった。病院の職員でなく日本赤十字の職員がボランティアの指揮をとっている。
– 石巻赤十字病院ではボランティアにも日赤職員と同じ食料が配給されている。(食料は十分に用意しているため配給は断る。)
– 石巻市唯一のボラセンが社会福祉協議会によって石巻専修大学に設置されており、避難所も併設している。独自発電能力を持ち電話も可能。24時間常駐のスタッフがいる。
– 石巻市には2,000人規模の避難所もあり、人手は圧倒的に足りてない。地元の高校生が各地で手伝っている。
– 本日活動した石巻赤十字病院では独自にボランティアを募っており、業務内容は病院内に限定されている。石巻赤十字病院は町医者を除いて石巻市で稼動している唯一の病院らしい。
– 石巻専修大学のボラセンと避難所には仮設トイレが設置されている。
– 既に競技場で車中泊をしているボランティアもいるがテントを用いた生活拠点を築いている団体はまだ他にない。

■交通情報
– 朝の時点で路面は一部凍結していた。融解した雪が凍ったような感じ。
– 仙台南部有料道路で仙台東部有料道路までは来れた。仙台東部有料道路は仙台東ICまでしか開通してない。(緊急車両限定)
– 国道45号線は仙台港北IC付近から北側が通行止め。
– 国道45号線から内陸側は信号も稼動している。
– 県道141号線で海側から内陸に進む場合、東北新幹線手前で通行止め。
– 県道8号線で北上を試みるが、仙台港北IC以北が開通していたため、松島海岸ICから仙台東部有料道路で北上。(緊急車両限定)

■被災地情報
– 仙台市にはガスと水は来てないけど電気は来ている。仙台市街は平和に見える。仙台市の給水情報についてはこちら
– ガソスタには営業してなくても並んでる。入荷待ちなのか、意図は不明。まだ給油可能なガソスタは見ていない。(活動しても十分な量の燃料は用意してある。)
– 町役場にも並んでいる。配給待ちなのか、意図は不明。
– 津波の被害を大きく受けた地域では治安が悪い。情報発信元の不明確な不安を煽る事件も噂されている。
– auとSoftbankは、常に通話が出来るわけではないが、繋がらないわけではない。

仙台市街から石巻市への幹線道路の様子
仙台市街から石巻市への幹線道路の様子
避難所マップ(黒字の丸が把握できている避難所)
避難所マップ(黒字の丸が把握できている避難所)

東日本大震災 復興支援活動の紹介(1日目 | 3/17(木) | 現地入り)

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によって被災した地域に向け、十分な装備と共に我々の仲間が3月17日に出発しました。被災地での活動を検討されている、もしくは活動している方に向けてこの場で活動内容を紹介させていただきます。状況の変化や一視点による情報の偏り、言葉足らずな部分などもありますので、あくまでも情報ソースの一つとして、参考程度にご覧頂ければと思います。

■活動内容
– 仙台へ移動し、受入元であった外食産業企業による炊き出し拠点との連絡後、車中泊。

■交通情報
– 東北道はトラックばかり。トラックは60~80kmで走行。
– 福島県に入ってから被害箇所の修復後だと思われる滑らかな段差が結構ある。段差が大きい箇所はコーンによって警告されている。
– 営業していないような(人がいない・トラックがスルーしている)ガソリンスタンド(以降ガソスタと略す)でもレギュラーは給油していることがある。
– 吾妻PAは軽油が無かったため、トラックがおらずガソスタはガラガラ。
– 下り線国見IC手前1km地点では左車線が壊れたまま。
– 国見SAは給油待ちの列が長く、SA入り口から並んでいる。給油しなくても並ばなければならない。40分弱並んで給油。
– 菅生PAではトイレが使用可能で水も出る。仮設トイレもあるが今は使われていない。
– 仙台宮城IC出てから国道48号線(作並街道)はチェーン規制。仙台駅には国道48号線(仙台西道路)のトンネルで行ける。

■被災地情報
– 本行程で最も福島原発に近づく二本松IC(原発から約57km)を通り過ぎたが、自覚症状無し。
– 国見SAでは豚汁*を無料提供していた模様。(* 頂いていないので豚汁かどうかは定かではない。)
– 宮城県仙台市街は道路上にもうっすらと積雪あり。仙台駅周辺で倒壊家屋は見かけない。
– 見た限りではほぼ通常生活。魚民は営業している。節電で暗いが電気は来ているように見える。

■通信状況
– iPhone MMSでの連絡は目的地である仙台駅まで常に可能だった。
– Google Latitudeを用いており常時位置情報が把握できていた。

都内にて必要資材の積み込み
都内にて必要資材の積み込み

また、3/17(木)現在の東北自動車道におけるガソリンスタンドの営業状況をまとめました。現在は流通状況も変化しておりますので、あくまで参考程度に活用して頂ければと思います。
東北道ガソスタ営業状況_v01.pdf

ボランティアを管理・制御する技術

現在開催中のアジア系フェスティバルにボランティアとして参加している方から聞いた話。そのフェスティバルでは、大々的にフェスティバルの運営・実施を手伝ってくれるボランティアを募集していたそうなのですが、申し込んでも主催者側から事前にまったく連絡が無く(ボランティア内容や集合日時すら知らされない)、本番当日になってやっと連絡が取れたそうです。

IMG_2160.jpg
(ネパールスカウトと突如的、野外ミーティング@カトマンズ2003)

そんな話を聞きながら、特に災害復興支援や緊急時に集まる多数のボランティアをどう管理・制御するかということを考えていました。たとえば、新潟の大震災の際は市町村役場等に全国からボランティアが集まったようですが、そのようなボランティアを誰が、どのような手法でマネージメントしたのか。そもそもボーイスカウトにおいてもボランティアのリーダーによって活動が成り立っているわけですが、これもある程度の長い時間をかけて人間関係を構築した上での活動運営であったり、少なくとも同じボーイスカウトであるという前提があっての共同作業であったりします。しかし、緊急時にはそれこそ素性の知れない雑多なボランティアが集まるわけで、そのような人たちを管理・制御するのは難しそうだなぁと思ったのです。

ボランティアを管理・制御する手法・スキルについての研修とかも、実は世の中にはあったりするのかなぁ。新潟の大震災時はどのようなマネージメントがあったんだろう。ご存知の方、教えてください!

スマトラ島沖地震と世界スカウト事務局

スマトラ島沖地震について、World Organization of the Scout Movementのサイトに以下のように書いてあった。

We encourage all national Scout organizations to establish a programme to raise money, and to coordinate donations nationally.

こちらについては寄付金を集めることを奨励するという意味である。

We discourage Scouts from travelling to affected countries to offer their help. Most of the countries involved have plenty of un-affected Scouts who can be mobilized as needed within the country; no Scout organization in an affected country has asked for participation of foreign Scouts.

こちらについては、被災国に外国のスカウトが救援目的で渡航することは遠慮してくれという意味である。

つい最近まで、新潟中越地震の奉仕にメンバーが参加しており、そこで現地役場がボランティアの受入元になったり、各種団体が募金を募集したりしていたので、それとの対比較をしてしまう。現時点ではどちらが良い、どちらが悪いという判断はしないが、すくなくともボーイスカウト日本連盟としては特にローバースカウト部門において、関西大震災や新潟中越地震でボランティアが活発に動いた経験・過去があるので、それらの経験を生かせないのかなぁと考えてしまうのである。

ボランティアの是非:新潟県中越地震

2004年10月29日の「新潟県中越地震」というエントリーで、Pax IV Hyperのメンバーの何人かが現地に奉仕に行っていることを述べた。今日はその概要報告と、メンバーの1人から挙げられた疑問について紹介したい。

Pax IV Hyperのメンバーで現地に入っているのは今現在4人。地震直後には8人いたが、その後人数に変動がある。当初からメンバー内にある議論として、世の中(TV、新聞等の報道等)的によく取り上げられる震災直後だけでなく、人数は少なくなったとしても長期的に奉仕をすべきだとという意見が出ていて、それを実行しようとしているのだ。主な内容は以下の通りである。
 ・ 活動場所は新潟県小国町
 ・ 奉仕内容は避難所での雑用(掃除・食事等)
 ・ 宿泊場所は避難所と、その周辺で野営という2グループに分かれてた
 ・ 今後は震災を受けた民家内の清掃ボランティアが始まるそう

数年前の阪神大震災の時にも出たのが、今回もメンバーの1人から「震災直後で現地が混乱している時期に、技術も情報もあまり持たない人間が現地に行くこと」について、意見を求められた。その裏には、都会の若者が来ても、逆に交通渋滞を引き起こしたり、そもそも奉仕内容(技術的に)も限定されるのであまり役に立たない、という見方もあるのだろう。私も時にはそう考える。同じような議論は国際協力(バングラデシュ派遣・ネパール派遣)でもよくある議論で、いまだに結論は出ていない。私としては以下のような考えのもと、今回は現地に行っているメンバーを全力でサポートしたいと思っている。
 ・ 今は頭で何かを考える前に、身体を動かし、行動をする時である
 ・ 我々の奉仕が必要か必要でないかは、我々が判断するのではなく、現地で判断を求める
 ・ 現地の人には失礼だが、これも経験・教育の一環として、活動させてもらう

とにもかくにも、震災直後はメディアも頻繁に取り上げるが、時間が経つことによって、だんだんと忘れられないことは願いたい。新潟は世界でも有数の豪雪地帯。冬に向かっているので、早急な復興&春までの持続的な協力が重要であろう。

月別アーカイブ