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先進国の祭りには神が欠けてきた?

先進国の祭りには神が欠けてきた?

先日の京都訪問時に鞍馬の火祭りという、大きなたいまつ(直径1mぐらい)を燃やして神社に持っていくお祭りを見学しました。そのたいまつの担ぎ手が笑顔だったのですが、それがずっと心の中にありました。隣で見学していた同行者は、「笑顔のほうが楽しそうで、親しみも持てていい」と言ってましたが、僕は「お祭りでは(特にその担い手は)笑顔を見せるべきではない」と主張したのです。けど、その笑顔を見せるべきではない理由が、その時ははっきりと言えなかったのです。

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鞍馬の火祭り。(ぼけぼけですみません。どなたか、コンパクトデジカメで夜中に動いている物体を綺麗に撮影する方法を教えてください。)

最近、結論が出ました。国語辞典で調べると、「祭とは、神霊などを祀る儀式。祭礼、祭祀(さいし)とも呼ばれる。あるいは、本来の祭から派生した、催事(催し、イベント)、フェスティバルのこと。」となっており、僕が重視してたのはこの前者のほうで、神や信仰に関することにあまり笑顔は相応しくないのではと思ったのでしょう。最近の国内のお祭では、屋台の充実や仮装行列といったフェスティバル的な側面ばかりが強調され、本来の目的である「神霊などを祀る儀式」部分が薄まってしまったのが残念なんですね。おそらくネパール(ヒンズー教やチベット仏教)やバングラデシュ(イスラム教)といった国では、またお祭事情は異なると思いますが。


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