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セイネンサンカク〜02
第5回バングラデシュ派遣に参加したのは、2002年の春でした。ちょうど3年前の今頃から、派遣メンバーによる事前準備が始まり、僕の2002年はボーイスカウト一色に染まることになります。この派遣の特徴は、PDCA全てのプロセスにおいて、その主権がローバースカウトに委ねられているということ。本当のことを言ってしまえば、実際そうとも言い切れないのだけれど、夢中で準備を進め、仲間たちと派遣そのものを実現していく過程で、「自分たちで作り上げて行くプロジェクト」の実現に大きなやりがいを感じました。自分の準備一つ一つが派遣のクオリティに直結し、自分の発言一つ一つが派遣の方向性を変えて行く。これを実感し、そこに責任感を感じ、プロジェクトに精一杯取り組むことが、この派遣の大きな魅力だと思います。
後になって思ったことは、この時の経験こそが、「参画」だったのだということです。そしてローバースカウトの僕が、夢中でこのプロジェクトに参画し、多くの収穫を得て次のステップに進んだように、カブ年代ならカブ年代、ボーイ年代ならボーイ年代、それぞれの年代に応じて、彼らが夢中で活動に取り組める環境を提供する場が、スカウティングなのだと気がつきました。そして、その場を通して青少年を教育し、広く社会一般のために貢献することが、この運動の目的だと僕は捉えています。
今、日本のスカウティングが直面しているのは、この「参画」の意義をもう一度捉え直すこと、加えてそれが時代の変化に即していなければならないという大きな課題だと思います。この課題から派生したものが、「青少年の意思決定への参画」として改めて見直されるようになった、この投稿のテーマであり、例えば次のような主張を後押しする抽象的な価値観になったようです。「日本連盟や県連盟の意思決定機関へ、ユース(ただ若い人という意味?)を参画させるべき!」。
多くの議論は、この「させるべき!」から始まっていて、結局ここで終わっている気がします。なんで? なんのために? という議論をもっとすべきだと思うし、ようやくそこにまで目がいったのが、日本連盟の現状であり、僕個人の現状でもあると思います。この投稿では、僕個人のこれまでのスカウティング経験と、その都度考えてきた青年参画に関する気持ち、思いを少しずつ書いて行きたいと思います。コメントまってます。
評論家にはなりたくない
ボーイスカウト日本連盟にいる成年指導者を2種類の人間に分けたら、どのような比率で分けられるのであろうか:モノを作り出す人、モノを評論する人。前者は青少年教育の現場において、新しいプログラム、活動案を考え続けながら、現場で動くもの。もしくは例え現場にはいなくても、中央意思決定機関において新しい制度、仕組み等を構築するもの。また後者は自分では自ら動かないが、意見を出したり、過去の経験からアドバイスをしたりするもの。この比率がどちらかに偏りすぎでも問題だと思うが、現在の日本連盟では後者の人間が多すぎるのではないだろうか?
私が過去に日本連盟国際委員会にいた理由を2つ挙げたい。一つはこのサイトにも良くコメントを頂ける黒澤さんも仰るように、日本連盟側の都合で、青年参画を日本連盟でもやってますよと宣伝できるようにするための、ただの人数あわせ。もう一つは、これは僕個人が思ってただけかもしれないが、当時日本連盟バングラデシュ派遣を取りまとめる立場におり、またバングラデシュ派遣以外にもPax IV Hyperや慶應義塾大学ローバース等、ローバープログラムを実行できる立場にいたからなのかと思っている。当然、僕以外の委員を見渡すと、県連の偉いポジションにあって、それぞれ県連で日本連盟のために動ける人がいたり、その人自身は県連や地区では権力はもたないものの、国際関係で経験が豊富でご意見番的に入っている人もいた。このバランス自体は現状の日本連盟の物事の進め方と県連の関係を考える以上、しょうがないと思う。各県連盟の協力なくして、日本連盟は成り立たないから。
ただし、ある程度の実働が期待されている各種委員会はまだ良いとしても、さらに上の組織(政治的にも、年齢的にも)では、少々訳が違ってくるのではないだろうか。でそれら上部組織メンバーのことは良く知らないので、詳しくはyathの投稿を期待するが、外から見ていて、過去の経験はあっても現在はあまり動けないメンバーなのではないかと思ってしまうのだ。そこに青年が参画していれば、新アイデア等があったら、その直後にそれを試してみたり、活動に応用したりと、すぐに実行に移せるが、偉くなりすぎるとフットワークが重くなる。ということで動けるメンバーを増やす意味でも、さらなる青年参画を期待したい。
さて、話は少しずれたが、僕は評論家にはなりたくないということを言いたかった。過去の経験・知見だけで、語りたくない。人の活動に対して横から口を出すだけで、動かない人にはなりたくない。Pax IV Hyperも当初から、研究・分析活動をやると同時に、その結果を日々の活動に応用していくことを重視してきた。僕は先月26歳になり、ついにローバースカウトを卒業した。制度上はもはやスカウトではなく、リーダーになってしまった。だからといって、自分が勉強をするのを止め、後は後輩の育成だけをやる、という活動は面白くない。やはり自分も動いていたい。かなり回りくどい文章になったが、要はこれを言いたかった:現場と遊離し、過去の栄光だけを頼りにする意思決定機関の人間はとっとと去り、今最前線にいる人間を一刻も早くそこに入れて欲しい。そうでない限り、現場の求める制度、ルール作りは出来ないし、日本のボーイスカウトが時代遅れのものになってしまう。
セイネンサンカク〜01
ボーイスカウト日本連盟に、まずは形から参画するようになって2年以上が経ちました。この2年間で僕個人が何か具体的な成果を挙げられたわけではない のですが、僕がそこで感じたことや考えたことを、誰かに伝えて行きたいなと考えるようになった今日この頃。散文なりに、どこかで誰かに「へぇ」とでも感じてもらえたらいいなと思います。テーマは青年参画。わたくし、市河靖弘がお送り致します。
青年参画という言葉を初めて聞いたのは、3年前に参加したバングラデシュ派遣の時。その後、パックスのメンバーとネパールに渡り、これをきっかけに パックスのメンバーになりました。当時は海外に行けること、プロジェクトを作ること、仲間が増えることに大きな喜びを感じ、たくさんの場所に顔を出していました。勢いの止まらない僕は、その年の6月、世界ユースフォーラムに参加し、青年参画の議論に興味を持つようになりました。「なんて素晴らしいんだ青年参画!」といった具合で、方々でプレゼンをしたり、パックスのメンバーと議論をしたりしながら自分なりの考えをまとめていったのがこの時期です。ウェブにも公開されている「国際ユース委員会設立の提案」はこの時の議論をもとに作成され、これをきっかけに僕は日本連盟での活動に意欲を持つようになりました。
思えば青年参画という言葉が急に一人歩きを始め、国内各所で議論が行われたり、紛争が勃発するようになったのは、この5、6年のことだと思います。誰も正しい答えを持っていなかったし、どうすればいいのか分からなかった。若い人もそうでない人も含め、不慣れな外国語の資料を読んだり、人づてにその話を聞いたりしながら、ああでもないこうでもないと議論を続けるばかりだった。そしてその状況は、今もあまり変わっていないんじゃないかと、僕は考えています。
この文章は全くの私見で、単純に僕個人の感想だったり、思いつきだったり、思い入れだったり、そんな程度のものですが、僕がこの4年間、パックスやら、原隊やら、ローバース会議やら、中央審議会やらの活動の中で感じてきた青年参画を、自分の中で整理しながら書いて行けたらいいなと思います。
組織における分業がもたらすもの
現在、僕は卒業論文に取り組んでいる。
テーマは「企業経営における分業の経済的機能と道徳的機能」である。
分業(協業)を論文のキーワードとし、既存の分業研究を経営学・経済学と社会学にまたがって把握し、それらの一元的な理論統合を試みている。具体的には、これまで分業はその効率性及び生産性の向上など経済的側面のみが強調されて理論が展開されてきたが、それだけではなく、社会学的なアプローチも含めて分業を総合的な観点から把握するというのが卒業論文の趣旨である。
従って、研究範囲はアダム・スミス、マルクスなど国民経済学からバーナードなどの組織管理学、さらには代表的な社会学者であるエミール・デュルケムの社会分業論と、非常に広範に渡る。
以上が論文の概要となるが、要は分業・協業が人間に一体何をもたらすのか、ということである。
ある作業工程を細分化し、各々の労働者に分配することで、その労働者は特定の作業に集中することが可能となり、経験や知識が蓄積される。その結果、作業効率は上がり、確実に生産性は向上する。これは経済学・経営学の常識である。
しかし、分業がもたらすものはそれだけなのだろうか。
分業の心理的・精神的影響に着目したのが前述のデュルケームである。
彼の説によると、分業により作業が細分化される。当然分割後の作業は各個人で異なるため、組織全体として何かをなし遂げるためにはお互いの協力や連携が必要不可欠になる。このような非類似性から個人間に連帯感が発生し、まるで有機体の器官のように密接に結合しあっている状態が生じるとデュルケムは言う。これを有機的連帯と呼ぶ。しかし、この理論は1世紀以上も前のものであり、ジョルジュ・フリードマンにより完全に否定されている。
確かに製造業における単調なライン作業ではこのような連帯感が発生するとは考えにくいが、例えば非製造業のサービス業、またはプロジェクトチームなどといった局面では十分に考えうると言える。
スカウティングにおいても分業・協業は作業効率化の手段として使われる。多くの海外プロジェクトでは、業務を「クルー業務」と「プログラム業務」に分類し、メンバーは両業務から一つ特定のタスクを兼任するというマトリクス型組織を構成している。
では、このような非営利組織においても分業が果たして参加者間に連帯感を生み出しているかというと、正直その判別は非常に困難である。というのも、組織内で特別問題が生じない限り、構成員間に連帯感は生じるが、それは数多くの要因によって為されているのであって、全てを分業に帰すということはできないからである。
みなさんは、非類似的な分業・協業が連帯感を生み出すと思いますか?
営利組織・非営利組織に関わらず、経験に基づいたご意見を頂けると幸いです。
もちろん、理論的誤の指摘や批判なども大歓迎です。
参加型学習
先日、ある大学研究室の参加型学習に関する実験に参加してきた。そして、僕らボーイスカウトが普段我流でやっている参加型学習について、方法論がしっかり存在することも思い出した。考え直すと、バングラデシュでやっている農民を対象とした保健衛生啓蒙活動、ネパールでやっている農民や子供を対象とした自然保全・植林活動、そしてモンゴルで行った母子家庭を対象とした石鹸作り講座、どれも日本人側で場を作り、対象者に参加してもらいながら、いろいろな事柄について学んでもらうという内容である。
(写真:ネパールでPax IV Hyperによる自然保全に関する説明を熱心に聞く子供達。みんな、純粋な目をしてますよね。)
ボーイスカウトの各種国際協力活動において、参加型学習方式を取り入れている理由は単純で、現地の言葉を満足に話せない僕らにとって、身体を動かし、ゲーム感覚・クイズ感覚で村人と取り組めることが、僕らの知識不足・言語力不足をカバーしてくれるものだからであった。したがって、如何に村人や子供を巻き込むか、巻き込むことによって何を効率的に伝えたいか等、についてはあまり考慮されていなかった気もする。もちろん、活動に使用するキットをみんなで議論して作成したり、説明文に関して、できるだけ簡単かつ論理的に説明できるように準備はするものの、それら一連の活動を「参加型学習」として評価することはなかった。NGO・NPOではファシリテーションやリーダーシップなど参加者を引き込む術を研究したり、実践しているが、そのような専門的な技術を我々ローバースカウトは学んでこなかったし、それらを専門としたアドバイザーも多くないのではないだろうか。
ベーデンパウエルがイギリスのブラウンシー島でボーイスカウトをはじめた当初から、ボーイスカウト活動は青少年の参加型学習であったはずである。頭だけを動かして学ぶ勉強ではなく、身体を動かし、やりながら学ぶ「Learning by Doing」がボーイスカウトの本質の一つであると思う。それなのに、子供の巻き込み方、農民の巻き込み方も知らないようでは、さびしい。これを機会に、参加型学習的視点を取り入れ、各種活動に取り組んでいきたいと思った。
世界の持続可能な発展のためにも、原住民の参画は必須である。いくら先進国が外からモノや知識を投入しようとしても、現地に定着するなり、現地の人が自ら動かない限り、それは持続可能ではない。青少年教育のリーダーとして、そして国際協力に携わる人間として、今後も勉強が必要な事項を一つ思い出してしまった。
LEAD: Leadership for Environment And Development
約4年前の大学院1年時に大学の掲示板で見つけ、その日のうちに加入を申し込んだ、国際機関のLEAD(Leadership for Environment And Development)。詳しくはLEADのウェブサイトを見て欲しいが、この機関では世界中の環境と開発に関するリーダーを集め、2年間の研修生としての期間中に合計約80日間、2,3カ国で、環境と開発、リーダーシップ等について研修を受ける国際的な研修プログラム兼ネットワークである。私もCohort9として研修に参加し、ロシア、メキシコでの国際研修や、沖縄でのリージョナル研修、そしてJICA、国連大学、地球環境戦略機構等(各1,2週間)での研修に取り組んだ。
国際的ネットワーク
それまでアメリカに住んでいた事はあっても、真面目に外国人と議論したことはほとんどなく、このLEADの研修期間中、英語で議論する機会を多く得た。世界20カ国ぐらいから集まっているため、まさしく異文化コミュニケーションの場であり、また各自が何かしらの専門性、バッグラウンドを持ったリーダー、もしくは将来リーダーになる人材であったため、その彼らとの交流・議論・生活が新鮮で楽しかった。またまだ有効には活用しきれていないが、国内外に環境と開発系の友人、ネットワークが出来たのも大きい。
ワークショップ・ファシリテーション
LEADの研修の多くに、参加型講義、ワークショップ、グループディスカッションなどがあり、ここでの経験がその後のボーイスカウトにおけるユースフォーラム等の運営に生かされたのは明白だ。いまでもLEADにおけるワークショップ運営・実施はボーイスカウトのそれよりも、意味のあるものを参加者に提供していると感じている。実際にボーイスカウトにおいてフォーラム等を企画・運営している人たちのうち、何人がその企画・運営方法に関するトレーニングを受けてきたことがあるのだろうか。みんなスカウト活動の指導者としてのトレーニングはウッドバッジ研修所等で受けるのだろうが、フォーラム・ワークショップをマネージメントできるだけのノウハウは持っていない気がする。
LEADで知り合った3人の友人には、パックスのメンバーも中心となって企画・運営に参加した「国際協力ユースフォーラム」にも外部講師として参加していただいた。今後はボーイスカウトとLEADを何かしらの関係で結びつけ、良いプロジェクト・活動を展開していけたらなぁと、パックスメンバー内で検討中である。
環境事業団:地球環境市民大学校
大学3年時の秋に、環境NGOのスタッフ向けの海外派遣研修である「環境事業団地球環境市民大学校ネパール・バングラデシュコース」に参加した、ということは以前「私とネパール派遣」エントリーにおいて書いた。ここではそこで得たものについて書きたい。(なお環境事業団は現在では、独立行政法人環境再生保全機構となっている。)
非営利組織全般
まだ当時では、いまではすでに市民権を得ているNPO・NGOが流行りだした頃で、非営利組織論についても大学の授業としてやっと開設されたころだった。そんなときにこの派遣では、派遣の主要目的としてネパール・バングラデシュでの非営利組織の活動を挙げ、実際に現地で視察・講義・現地スタッフとの議論などを行った。大学の教室で非営利組織論を受講しながら、現場で生の情報を得ることにより、非営利組織に関する理解はこれら二つの学習方法により、相当深まった。ボーイスカウトも非営利組織の一種であり、我々の団体でも一時期NPO法人化を真剣に考えたこともあった。そんなきっかけを与えてくれたのも、環境事業団の本派遣だった。
職としてのNPO
本派遣にはボーイスカウトから派遣された私以外にも、タイでマングローブ植林をやっているNPOの事務局長さんや、大阪のほうで水問題を扱っている研究組織のスタッフ、兵庫で子供関係のNPOにはいっている方、北海道で有機農業をやっている農家の方なども参加していた。約10日間の派遣期間中、行動をともにしながら、真面目な話・ふざけた話等、普段接することの無い他業界の人たちと深い交流が出来た。そんななかで、当時就職に悩んでいたので、参加者に話を聞いていたのだが、日本のNPOでは税制、法律、収入等いろいろな問題で、職業としてNPOでやっていくのはなかなか難しいというのがわかった(いまではどうなっているのでしょうか)。最近はSocial VentureやSocial Entrepreneurという言葉も流行っているそうだが、日本でも職としてのNPOが成立すると、さらに質的に豊かな国になると思うのですがね。
もちろん、上記以外にも、パックスのネパール派遣のきっかけになったのもこの派遣だったし、バングラデシュ派遣のクルーリーダーとしてのあり方・知識等を学んだのもここが出発点で、学ぶことの多い派遣だった。そういえば、この派遣でバングラデシュ滞在中に、1人で自由時間を頂き、ボーイスカウトバングラデシュ連盟を尋ね、その年のボーイスカウトのプロジェクトについて1,2時間話をしてきたこともありました。
予告:外部団体の研修への参加
これまで「海外プロジェクト」という枠組みで、アメリカ・カナダ、バングラデシュ、ネパール、モンゴルでのスカウトとしての活動について書いてきた。ただし、それらのプロジェクトについては、ボーイスカウト的な視点、ボーイスカウト的な評価方法をあてはめて、文章を書いてきてしまった気がする。今週は2回に渡って私が過去に参加した外部の海外派遣研修について書きたいと思う。
まず水曜日には環境事業団(現:独立行政法人環境再生保全機構)地球環境市民大学校での研修派遣について、エントリーを投稿したい。また金曜日にはLeadership for Environment And Development(LEAD)という国際機関での研修プログラムについて書きたい。
これら外部団体での研修を受けることにより、スカウティングでは得られない経験を得たり、またスカウト活動について、外から、第三者的に見ることができるようになった。今週の2回の投稿では、単純にそれぞれの研修で得たものを書きたい。したがって、それら外部団体とボーイスカウトとの比較等の考察は今回はしない。
ジャンボリーやムート
ボーイスカウトにとっての最大なイベントは歴史的にも規模的にもジャンボリーということになり、また大学生年代のローバースカウトにとってはムートということになるのだろうか。僕個人としても、第13回の日本ジャンボリーにはJamboree Head Quaterの国際センターにて奉仕を行ったし、またムート2001においても国際班として活動を行った。
だが、個人的にはこの二つ、好きではない。それぞれ新しい友人もできるし、それなりに良い経験になるし、その瞬間的には面白いというのは、僕も実際に経験したのでわかる。では、なぜジャンボリーやムートに良い印象を持っていないのか。それは実際に参加した二つの印象が悪かったというより、バングラデシュやネパールといった海外プロジェクトとの相対的評価になるのであろう。ここでジャンボリーと海外プロジェクトを公平に比較するために、世界ジャンボリーvsバングラデシュ派遣という、参加に必要な期間や金銭がほぼ同等な二つを考察したい。この二つを比較すると概ね以下のように私は思う。
・目的:ジャンボリーは国際交流、バングラ派遣は国際協力・国際貢献
・事前事後:ジャンボリーでは特になし、バングラ派遣では事前準備、事後評価アリ
・内容:ジャンボリーは他人が用意する各種プログラム、バングラ派遣は自分達で作った奉仕プログラム
現在、来年日本で行われるムートの実行委員としてPax IV Hyperのメンバーも関わっている。是非彼らには、ムートの目的・位置づけなどを真剣に議論して欲しいし、そして21世紀に必要なローバースカウトにとってのイベントを考えていって欲しい。それは、これまでのムートの延長上にはなく、まったくあたらしい形のイベントであると僕は願っている。それにより、今後のジャンボリーのあるべき姿なんかも出てくるのではないだろうか。
海外スカウト受入計画 2
http://paxiv.org/archives/831
続き
★ 前半戦
私の中で受入事業は、前半・大会期間中・後半という風に捉えています。
前半: 到着〜大会まで
大会期間中: そのまま
後半: 大会〜帰国まで
2000年は、特別海外スカウト受入計画ということで、アジア太平洋地域以外の5つの地域からもスカウトが2名づつ参加していたので、飛行機の関係上(毎日便があるわけではない航空会社利用)到着がバラバラで、既にペルーのスカウトなどが到着していました。
以前は、成田空港まで直接局用車等で迎えに行くというスタイルをとっていたようですが、現在は、成田空港の出迎えについては千葉のスカウトを中心に行っていて、その後はリムジンバス等で東京・三鷹のスカウト会館まで送り会館で引き受けるという流れになっています。
2000年は、リムジンタクシーで到着する形だったので比較的問題なく到着し、その後会館内を案内するというのが作業でした。そして、到着時差があるために先に着いたスカウトに対しては近隣散策案内のスタッフも必要になります。
前半のメインイベントはは、都内観光をしてその夜に開会式をします。この時、初めて色とりどりの制服でスカウトが集まります。まだ緊張している参加者ばかりですが、後半の閉会式はあっさりとは終わりません。
都内観光名所としては、
皇居・二重橋周辺
明治神宮
NHKスタジオパーク
都庁
などが、候補地です。
あくまでもメインは、主催大会の方にあるので夏なので暑さなどで体調を崩されてしまうとそれこそ、参加者の楽しみが減ってしまうので注意です。初めての経験だとどうしても無理をしてしまう傾向や、南半球などは冬から夏へという参加者もいます。
(次回へ続く)