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慶應スカウト50年史(仮称)執筆依頼用資料準備

2007年には慶應義塾大学内にボーイスカウト組織が出来て、50周年になります。その組織のOB会である慶應スカウト三田会では50周年記念の記念誌を作ろうと準備をしています。今日は会社を早く退社し、4時間かけて過去の資料をひっくり返し、執筆予定者用の参考資料をそれぞれの年代毎に分ける作業をひたすらやっていました。急に執筆者に「書いてください!」と言っても忘れていることも多いと思うので、過去の資料を添付することによって、記憶を戻してもらおうという思惑です。そんな過去の資料(以下の二つは昭和47年発行の資料に書いてありました)を読み返している間に見つけた二つの言葉を書いておこうと思います。

■余は独立の人格である。ゆえに余は独自の思想を持つ。ただし独自の思想を持つとはその結合の状態、統一の方法が独自の面目を呈露するの意味であって、その要素がことごとく独得であるという意味ではない。要素においてことごとく独得なるは狂者の思想である。他人と全然交渉なき怪物である。要素において共通にして結合において独自なればこそ余は友を持ち恋人を持つ。同時に余は余として人生の大道を行く。(詠み人知らず)

■成るだけ議論を多くする方が宜しい。決して大人君子が一声を発したからと云って草木の風にそよぐ如く承知するでない。(福沢諭吉)

他にもいろんな言葉が過去の資料内にはちりばめられていましたが、今の僕に理解できるのはこれくらいでした。古典を読めるようになると面白いんだろうなぁと思うと同時に、インターネット上で検索に引っかかるのは代表的or現代的な文章や思想だけであって、昔の文章や思想は誰かがデジタル化しないとそのうちインターネット中心の世界になった場合に忘れ去れてしまうのかなぁと考えながら、4時間も単純分類作業をやっていたわけです。はぁ、疲れた。。。。


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