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作者アーカイブ: Pax IV Hyper

政治とは?

何のために政治は存在するのだろうか。

日本国においての政治とは?
確かに公共事業については、政府が旗を振ってくれないと困る。
またODA等の外交についても日本の国として動く必要がある気がする。
僕らは税金を払っている。国会議員は選挙で選ばれる。つまり自分達の金の使い道を決める人は、自分達で選んでいる。筋は通っている気がする。

ボーイスカウト日本連盟において政治というと、一体何を意味するのだろうか?
一体、連盟は加盟員のために何をしてくれるのか?
僕らの登録料はどのように使われているのだろうか?
役員、各種委員会委員は誰が選んでいるのだろうか?

yathと黒澤さんのやりとりを見てて、また、今日mayfairと越智さんと話をしていて、ボーイスカウト日本連盟における政治の構造改革が必要だと考え直しました。

といっても一加盟員に出来ることはほとんどなく、地道に活動をがんばるのみ。
今週日曜日には今年第1回目のパックス総会になります。また、報告はこのBLOGやWEBを通じてしたいと思います。

思い出のモノ

先日、ある友人から「あなたにとっての思い出のモノはなんですか?」という質問をされた。私からの答えは、カシオの時計ビクトリノックスのナイフ、そしてダナーのブーツ(リンクはそれぞれのメーカーサイトへのリンク)であった。思い出のモノ=キャンプや旅に必要な装備になっていることに気づいたのである。

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(ダナーのエクスプローラーII。約6年前に、当時約1ヶ月分のバイト代を全額投入して購入。今ではやや臭いかも(笑))

これらのモノの共通点は、旅やキャンプに必ず持っていくモノであり、かつ、常に身につけているか、持ち運びしているものである。そういう意味で、長期の旅にも安心してもっていける機能・耐久性を持ったものを選んで揃えてきた(ナイフと時計は高校生時に父親に買ってもらったものだ)。時計は電池がもち、耐水性に優れており、日付・日時変更の容易なものである。ナイフはキャンプ等でよく使用するナイフと缶切り、そして長期旅行では爪きりに使用するハサミがついているいわゆるスイスアーミーナイフ。そしてブーツは登山・長距離トレッキングに利用できるトレッキング用であり、ゴアテックス製なため完全防水なものである。

AV機器メーカーに勤めており、普段の生活ではコンピューターが手放せなくなってしまっているのだが、これらの電気製品には愛着をあまり感じず、アナログで自然の中で使用する上記の装備達には強い愛着を感じるのは何故なのだろうか。。。みなさんは如何ですか?

セイネンサンカク〜04

こんばんわ。市河です。

世界ユースフォーラムシリーズ1発目です。テーマは、「若い人(Young Adult)は何を求めているのか?」です。つまりは「若者はスカウティングもしないで何をやってるんだ一体!?」とゆうことです。一部のアジア太平洋地域の国をのぞいては、多くの国でスカウト人口の減少が顕著です。ユースは何に興味があって、何がやりたくて、何を求めているんだろう、という議論が、フォーラムにおいて、いくつものグループの中で議論されました。
 日本国内でも、スカウトの数は決して増えていません。サッカーだったり塾だったり、色々な活動があり、コミュニティがあり、親の考えも含めて子供たちは活動の選択を迫られます。実は僕も、部活動に熱中し、スカウティングから長い間離れていたことがありました。加えて、こういう事を学びたい、こういうコミュニティに参加したいというニーズに合致していなければ、子供は集まりません。一体ユースは何を求めているのでしょうか。これには社会の情勢が大きく関わってくると思います。
 この議論に参加した僕が、一番驚いたのは、国や地域によって発言の内容がまったく違っていたこと。ある人は「雇用」こそ若者の最大のニーズだと言い、ある人は「レジャー」だと言う。ある人は「技術や資格」だと言い、ある人は「刺激と創造」だと言いました…。住んでいる国や地域によって、ユースの置かれている状況は全く違うし、個々のユースが何を求めているのかについては、もっと複雑に差異があることに気がつきました。

 当時僕は、青年参画という言葉の意味を、「ユース(スカウト)のやりたいことをやらしてあげること。そしてそれが社会全体の方向性に合致していること」だと極解していました。そしてそれを実現してあげないと、スカウティングに未来はないんじゃないかと、考えていました。今思うと、相当間違っていますね。
 子供達や若者達が何をしたいか、もしくは彼らは何を学ぶべきか、という議論の答えは、国や文化、経済や社会によって大分違ってきます。これについて、スカウティングという運動そのものが統一的な答えを出すことはできないと、僕は今考えています。では何を考えればいいのかというと、周囲の環境に左右されない普遍的な物事が何で、それをいかにスカウティングが提供していくか、ということだと思います。

 皆さんは、日本のユース、つまりビーバーからローバーまでの世代の青少年たちが、何を求めていると思いますか?ユースが日本の社会における良き生活者として何を得ることが、最も重要だと思いますか?そしてそのためにスカウティングは何を提供することができると思いますか?

スマトラ島沖地震と世界スカウト事務局

スマトラ島沖地震について、World Organization of the Scout Movementのサイトに以下のように書いてあった。

We encourage all national Scout organizations to establish a programme to raise money, and to coordinate donations nationally.

こちらについては寄付金を集めることを奨励するという意味である。

We discourage Scouts from travelling to affected countries to offer their help. Most of the countries involved have plenty of un-affected Scouts who can be mobilized as needed within the country; no Scout organization in an affected country has asked for participation of foreign Scouts.

こちらについては、被災国に外国のスカウトが救援目的で渡航することは遠慮してくれという意味である。

つい最近まで、新潟中越地震の奉仕にメンバーが参加しており、そこで現地役場がボランティアの受入元になったり、各種団体が募金を募集したりしていたので、それとの対比較をしてしまう。現時点ではどちらが良い、どちらが悪いという判断はしないが、すくなくともボーイスカウト日本連盟としては特にローバースカウト部門において、関西大震災や新潟中越地震でボランティアが活発に動いた経験・過去があるので、それらの経験を生かせないのかなぁと考えてしまうのである。

セイネンサンカク〜03

あけましておめでとうございます。年末年始はすっかり遊び尽くしてしまい、お金は底をつき体調も崩しました…。

 さて、前回の投稿ではバングラデシュ派遣に参加したときのことを振り返りながら、文章を書きました。今日は2002年に参加した、世界ユースフォーラム及び世界会議での経験をふまえて書きたいと思います。
2002年に開催された第8回世界ユースフォーラムには、僕を含め2名のローバーが日本から参加しました。各国からローバー年代のスカウトが集まり、スカウティングについての様々な議論を重ね、そのアウトプットをフォーラムの直後に行われる世界会議へと発信していくわけです。当然、フォーラムでの議論の焦点となるのは「青年参画」。その議論が各国から集まったローバー年代によって行われるという点では、スカウティングの青年参画に関する、一番てっぺんの議論、ということになるかもしれません。そんなところへ突然行ってしまった僕は、青年参画という言葉の意味すら理解していませんでしたし、フォーラムの意義や、派遣の目的/目標についても曖昧なままでした。当然、受け身の議論になります。僕にとって、この世界ユースフォーラムへの参加は、僕自身のその後の活動における大きな転換点となりましたが、そこで果たすべきはずの役割や成果については、達成できなかったのではないかと思っています。
 しかし少なくともこのフォーラム及び世界会議への参加がきっかけとなり、僕なりの問題意識をもって日々のスカウティングに取り組むことになりました。ローバース会議議員に立候補し、ユース委員会の設立に関わり、いつのまにか中央審議会の議員になりました。当時の経験は、今の僕のスカウティングにおけるバックボーンになっていると考えています。
 今日から数回の投稿では、世界ユースフォーラム及び世界会議で出た議論やテーマ等を、僕が理解している範囲で紹介し、僕なりの考えや思いを書いてみたいと思います。そしてそれを一人でも多くの人と共有しながら、色々な人の考えや思いを知ることができたらいいなと思っています。 それでわ。

あけましておめでとうございます2005年

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年越しは車の中でした。12/30,31で、パックスメンバーであるI君が移住した新潟県上越市桑取に行っておりました。その帰りの関越自動車道が雪により交通止めになり、渋滞・下道で帰ってきたため予定より大幅に時間がかかり、車内のNHKラジオで紅白を聞きながら、カウントダウンをするはめになってました。

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I君についてはボーイスカウト日本連盟発行の「スカウティング」2004/11号の巻頭でも特集されているので、ここで説明は省きますが、今回は彼のお宅に訪問し、雪かきの手伝い(上記写真)、一人でがんばっているI君に対する激励お好み焼き食いをしてきました。冬は農作業が出来ないので、郵便局で働いているとのことでした。

ということで、新年一発目は日記風になってしまいましたが、今年も一つの表現方法・メディアとしてWEBページともどもこのBLOGについてもさらなる充実を図りたいと思っています。いろいろとお世話になるかと思いますが、よろしくおねがいいたします。

海外プロジェクトと安全性

Pax IV Hyperでは2002年3月から1年に1,2回訪問するペースで、ネパールにおいて果樹植林、自然保全に関するプロジェクトをネパールスカウトと行ってきていた。

過去のプロジェクトの報告書は以下からダウンロード可能です。
2002年3月: ネパール果樹植林プロジェクト
2002年8,9月: 第1回ネパール国際協力協同プロジェクト
2004年2,3月: 第2回ネパール国際協力協同プロジェクト

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(2003年3月に訪問した際のネパール・チトワン国立公園での宿からの写真)

しかしここ1年間は現地の安全状況が悪く、プロジェクトを実施できないでいる。
まずは2004年9月に起きたイラクでのネパール人人質殺害を発端としたカトマンズでの大規模な抗議行動と外出禁止令によってその月に予定していた派遣を派遣出発日前日に中止にした。また2005年2月に実施を予定していた派遣については、マオイスト(立憲君主制の廃止、共和制の確立を標榜する毛沢東主義反政府組織)による様々な施設への攻撃、暴動の危険性から中止にした。

過去に数回プロジェクトをやったことで、ネパールに親しい友人ができ、またネパール自体にも愛着を持っており、メンバーの半数は2005年2月のプロジェクト中止に反対していた。しかし、平和の騎士たるスカウトが、テロリストに巻き込まれては元もこもないので、いわゆる苦渋の決断で、今回については諦め、2005年9月実施を予定し、状況を見ていくことにした。

今回のこの中止に至る議論の過程で、そもそも国際協力は「平和で何の問題も無い国」においては、やる意味がないのかという議論が出た。悲惨な状況であればあるほど、その国に対して協力・貢献の必要度合いは高くなるが、ボーイスカウトがその状況にまで足を踏み入れるべきかというと、現在はそこまではできないと思う。平和ではあるが、物質的、健康的、環境的な問題がある国を対象としていきたい。少なくとも政治的・宗教的に落ち着いていて、日常のスカウト活動をやるにあたり治安上の問題がない場所を選ぶ必要がある。一刻も早く、ネパールの状況がスカウト活動が安全にできるような状況に好転することを願う。

2005年2月には南アジア圏でプロジェクトを考えているのだが、12月26日にインドネシア・スマトラ島沖でおきた大地震による津波で、周辺国が大規模な洪水に見舞われたとの報道が入ってきた。洪水の状況も見つつ、プロジェクトを作っていかなければならならなそうだ。

セイネンサンカク〜02

 第5回バングラデシュ派遣に参加したのは、2002年の春でした。ちょうど3年前の今頃から、派遣メンバーによる事前準備が始まり、僕の2002年はボーイスカウト一色に染まることになります。この派遣の特徴は、PDCA全てのプロセスにおいて、その主権がローバースカウトに委ねられているということ。本当のことを言ってしまえば、実際そうとも言い切れないのだけれど、夢中で準備を進め、仲間たちと派遣そのものを実現していく過程で、「自分たちで作り上げて行くプロジェクト」の実現に大きなやりがいを感じました。自分の準備一つ一つが派遣のクオリティに直結し、自分の発言一つ一つが派遣の方向性を変えて行く。これを実感し、そこに責任感を感じ、プロジェクトに精一杯取り組むことが、この派遣の大きな魅力だと思います。
 後になって思ったことは、この時の経験こそが、「参画」だったのだということです。そしてローバースカウトの僕が、夢中でこのプロジェクトに参画し、多くの収穫を得て次のステップに進んだように、カブ年代ならカブ年代、ボーイ年代ならボーイ年代、それぞれの年代に応じて、彼らが夢中で活動に取り組める環境を提供する場が、スカウティングなのだと気がつきました。そして、その場を通して青少年を教育し、広く社会一般のために貢献することが、この運動の目的だと僕は捉えています。

 今、日本のスカウティングが直面しているのは、この「参画」の意義をもう一度捉え直すこと、加えてそれが時代の変化に即していなければならないという大きな課題だと思います。この課題から派生したものが、「青少年の意思決定への参画」として改めて見直されるようになった、この投稿のテーマであり、例えば次のような主張を後押しする抽象的な価値観になったようです。「日本連盟や県連盟の意思決定機関へ、ユース(ただ若い人という意味?)を参画させるべき!」。
 多くの議論は、この「させるべき!」から始まっていて、結局ここで終わっている気がします。なんで? なんのために? という議論をもっとすべきだと思うし、ようやくそこにまで目がいったのが、日本連盟の現状であり、僕個人の現状でもあると思います。この投稿では、僕個人のこれまでのスカウティング経験と、その都度考えてきた青年参画に関する気持ち、思いを少しずつ書いて行きたいと思います。コメントまってます。

評論家にはなりたくない

ボーイスカウト日本連盟にいる成年指導者を2種類の人間に分けたら、どのような比率で分けられるのであろうか:モノを作り出す人、モノを評論する人。前者は青少年教育の現場において、新しいプログラム、活動案を考え続けながら、現場で動くもの。もしくは例え現場にはいなくても、中央意思決定機関において新しい制度、仕組み等を構築するもの。また後者は自分では自ら動かないが、意見を出したり、過去の経験からアドバイスをしたりするもの。この比率がどちらかに偏りすぎでも問題だと思うが、現在の日本連盟では後者の人間が多すぎるのではないだろうか?

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私が過去に日本連盟国際委員会にいた理由を2つ挙げたい。一つはこのサイトにも良くコメントを頂ける黒澤さんも仰るように、日本連盟側の都合で、青年参画を日本連盟でもやってますよと宣伝できるようにするための、ただの人数あわせ。もう一つは、これは僕個人が思ってただけかもしれないが、当時日本連盟バングラデシュ派遣を取りまとめる立場におり、またバングラデシュ派遣以外にもPax IV Hyperや慶應義塾大学ローバース等、ローバープログラムを実行できる立場にいたからなのかと思っている。当然、僕以外の委員を見渡すと、県連の偉いポジションにあって、それぞれ県連で日本連盟のために動ける人がいたり、その人自身は県連や地区では権力はもたないものの、国際関係で経験が豊富でご意見番的に入っている人もいた。このバランス自体は現状の日本連盟の物事の進め方と県連の関係を考える以上、しょうがないと思う。各県連盟の協力なくして、日本連盟は成り立たないから。

ただし、ある程度の実働が期待されている各種委員会はまだ良いとしても、さらに上の組織(政治的にも、年齢的にも)では、少々訳が違ってくるのではないだろうか。でそれら上部組織メンバーのことは良く知らないので、詳しくはyathの投稿を期待するが、外から見ていて、過去の経験はあっても現在はあまり動けないメンバーなのではないかと思ってしまうのだ。そこに青年が参画していれば、新アイデア等があったら、その直後にそれを試してみたり、活動に応用したりと、すぐに実行に移せるが、偉くなりすぎるとフットワークが重くなる。ということで動けるメンバーを増やす意味でも、さらなる青年参画を期待したい。

さて、話は少しずれたが、僕は評論家にはなりたくないということを言いたかった。過去の経験・知見だけで、語りたくない。人の活動に対して横から口を出すだけで、動かない人にはなりたくない。Pax IV Hyperも当初から、研究・分析活動をやると同時に、その結果を日々の活動に応用していくことを重視してきた。僕は先月26歳になり、ついにローバースカウトを卒業した。制度上はもはやスカウトではなく、リーダーになってしまった。だからといって、自分が勉強をするのを止め、後は後輩の育成だけをやる、という活動は面白くない。やはり自分も動いていたい。かなり回りくどい文章になったが、要はこれを言いたかった:現場と遊離し、過去の栄光だけを頼りにする意思決定機関の人間はとっとと去り、今最前線にいる人間を一刻も早くそこに入れて欲しい。そうでない限り、現場の求める制度、ルール作りは出来ないし、日本のボーイスカウトが時代遅れのものになってしまう。

セイネンサンカク〜01

 ボーイスカウト日本連盟に、まずは形から参画するようになって2年以上が経ちました。この2年間で僕個人が何か具体的な成果を挙げられたわけではない のですが、僕がそこで感じたことや考えたことを、誰かに伝えて行きたいなと考えるようになった今日この頃。散文なりに、どこかで誰かに「へぇ」とでも感じてもらえたらいいなと思います。テーマは青年参画。わたくし、市河靖弘がお送り致します。

 青年参画という言葉を初めて聞いたのは、3年前に参加したバングラデシュ派遣の時。その後、パックスのメンバーとネパールに渡り、これをきっかけに パックスのメンバーになりました。当時は海外に行けること、プロジェクトを作ること、仲間が増えることに大きな喜びを感じ、たくさんの場所に顔を出していました。勢いの止まらない僕は、その年の6月、世界ユースフォーラムに参加し、青年参画の議論に興味を持つようになりました。「なんて素晴らしいんだ青年参画!」といった具合で、方々でプレゼンをしたり、パックスのメンバーと議論をしたりしながら自分なりの考えをまとめていったのがこの時期です。ウェブにも公開されている「国際ユース委員会設立の提案」はこの時の議論をもとに作成され、これをきっかけに僕は日本連盟での活動に意欲を持つようになりました。

 思えば青年参画という言葉が急に一人歩きを始め、国内各所で議論が行われたり、紛争が勃発するようになったのは、この5、6年のことだと思います。誰も正しい答えを持っていなかったし、どうすればいいのか分からなかった。若い人もそうでない人も含め、不慣れな外国語の資料を読んだり、人づてにその話を聞いたりしながら、ああでもないこうでもないと議論を続けるばかりだった。そしてその状況は、今もあまり変わっていないんじゃないかと、僕は考えています。

 この文章は全くの私見で、単純に僕個人の感想だったり、思いつきだったり、思い入れだったり、そんな程度のものですが、僕がこの4年間、パックスやら、原隊やら、ローバース会議やら、中央審議会やらの活動の中で感じてきた青年参画を、自分の中で整理しながら書いて行けたらいいなと思います。

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